藤枝大祭に参加して

今年は、3年に一度の藤枝大祭の年でした。

私がこの祭りに参加したのは21歳の時からで、今回で13回目に

なります。

もう60歳の私ですが、祭り人間としてまだまだ出るつもりです。


ここで、『藤枝大祭の歴史』について説明しましょう。

藤枝大祭は江戸時代、田中城の鬼門を守る青山八幡宮の大祭に、

屋台が神輿披露の行列に付添ったのが始まりです。

明治になって廃藩置県により田中藩が解体され、藤枝宿の

総社飽波神社(延喜式内社)大祭にこの屋台の曳き回しが

移行されました。

『三層高欄型山車』と唐破風屋根に踊る舞台を備える『踊り屋台』

とが融合する独自の山車屋台でした。

これが文明開化により電線が普及しだすと、屋台もやむなく

高さを低くして踊り屋台のみの形態に変わりました。

大正5年に左車出身の六世芳村伊十郎長唄家元)を迎え、

現在のような長唄による地踊り披露と言う形態が整えられました。

現在は、旧藤枝宿の9町と隣接5町の合わせて14町から屋台が

惹きだされます。

ちなみに、私は上伝馬宿の屋台に参加しています。

この大祭は、青年団・中老団が一つになって大祭までの約半年意見を

ぶつけ合い準備していますが、大祭3日間は楽しく・面白く過ごすのが

私の生きがいになっています。


本当に楽しいですよ!皆さんも参加してみませんか!!